20260802問題を通して成長する教会(使徒6:1-7)📺

20260802日本語礼拝

聖書:使徒6:1-7

題目:問題を通して成長する教会

賛美:89、350、354

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

「そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。 そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。 そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、 わたしたちは、もっぱら祈と御言のご用に当ることにしよう」。 この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、 使徒たちの前に立たせた。すると、使徒たちは祈って手を彼らの上においた。 こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。」

‭‭使徒行伝‬ ‭6‬:‭1‬-‭7‬ 口語訳‬

1.イントロ 問題のない教会はない

 「教会なら問題があってはいけない」そのように考える人は少なくありません。恥ずかしながら、私自身もこれまで、牧師や教会の間違いを見つけては、「だから教会が問題なんだ」と批判していました。しかし、聖書を見ると「問題のない教会はない」ということが分かります

 初代教会は理想の教会でした。一日に三千人が救われ、五千人が救われ、神様のみわざが次々と現れていました。しかし、その教会にも問題は絶えませんでした。アナニヤとサッピラの罪、ユダヤ人指導者からの迫害、そして今日の箇所では教会内部の不満と対立です。教会だから問題がないのではありません。むしろ、人が集まるところには必ず問題があります。

 大切なのは、問題が起こるかどうかではなく、その問題を信仰によってどのように解決するかです。神様は問題さえも教会を成長させるために用いられるお方なのです。

2。本文解説

教会で発生した問題

 弟子の数が増えるにつれて、エルサレム教会に新しい問題が起こりました。教会が二つのグループに分かれて対立するようになったのです。一つはパレスチナで育ったアラム語を話すユダヤ人(ヘブル人)、もう一つは外国で育ちギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト)です。ローマ帝国ではギリシャ語が広く使われていました。ヘブル人はギリシャ語をある程度理解できても、ヘレニストはアラム語が十分分からなかったと考えられています。大阪中央教会に例えるなら、韓国語を話す人々と、日本語を話す人々が一緒に礼拝しているようなものです。互いに悪気はなくても、言葉や文化の違いによって誤解は生まれます。

 当時、教会は生活に困っているやもめたちへ、毎日食事を配給していました。ところが、「私たちのやもめは十分に配給されていない」という苦情が出たのです。配給を担当していた人々がヘブル人だったため、意図的ではなくても、ヘレニストたちにそのように受け取られたのでしょう。ここで注目したいのは、この問題はアナニヤとサッピラのように誰かの罪が原因ではなかったということです。人数が一万人近くに増えれば、意思疎通の不足や誤解は当然起こります。

 人が増えることは祝福ですが、それと同時に問題も増えるのです。おそらく、「昔は良かった」という声も出てくるでしょう。しかし、成長するためには、問題を避けて通ることはできません。そしてこの問題が、後の世界宣教の出発点になっていきます。

使徒たちの知恵ある解決

 問題が起こると、ある指導者たちは見て見ぬ振りをしたり、隠そうとしたりします。しかし、使徒たちは無視しませんでした。「そんなことで文句を言うな」とも言いませんでした。すぐに信徒たちを集め、問題を認めました。

 しかし同時に、「私たちが食卓のことばかりに追われ、神の言葉を語ることを後回しにしてはならない」とも言いました。これは忙しいからという意味ではありません。悪魔は教会を外側から迫害して壊そうとしました。それが失敗すると、今度は内側から揺さぶります。もし使徒たちが毎日の事務や配給に追われ、祈りと御言葉の奉仕ができなくなれば、教会は霊的な力を失います。悪魔にとって最も望ましい状態は、牧会者が御言葉に集中できない教会なのです。

 だから使徒たちは七人を選びました。選ばれた条件は三つでした。

 ・御霊に満ちていること

 ・知恵に満ちていること

 ・評判が良いこと

食卓の奉仕は決して御言葉の奉仕より低い働きではありません。むしろ、御言葉の奉仕を支えるために欠かすことのできない尊い奉仕です。

 選ばれた七人は全員ギリシャ語名でした。つまり苦情を言ったヘレニスト側の人々に責任を任せたのです。これは使徒たちの大きな信頼でもありました。さらに後を見ると、この七人の中からステパノやピリポが現れます。ステパノは最初の殉教者となり、ピリポはサマリヤやエチオピアの宦官に福音を伝えました。つまり、この七人の選出が後の異邦人伝道の土台になったのです。問題が宣教の扉を開いたのでした。

 そしてその結果、「神のことばはますます広まり、弟子の数は非常に増え、祭司たちまでも大勢信仰に入った。」と聖書は語ります。反対勢力の中心地であるエルサレムにおいて、反対者の中心であった祭司たちまで救われました。問題のために教会が成長できないのではありません。教会は問題を解決するたびに成長していくのです。 

3.適用:問題解決を通して成長していこう

弱い人に合わせる教会になろう

 使徒たちは多数派に合わせませんでした。少数派であったギリシャ語を話す人々に配慮しました。教会は強い人に合わせる場所ではありません。弱い人に合わせる場所です。もちろん弱い人の言いなりになったりするわけではありません。しかし、強い人の声ばかりが通る教会は、やがてキリストの心を失ってしまいます。なぜなら、神様ご自身がいつも弱い者、小さい者、見過ごされている者に目を留められるお方だからです。

 イエスは、「あなたがたが、わたしの兄弟であるこの最も小さい者たちの一人にしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)と教えられました。また、「人の子も、仕えられるためではなく、かえって仕えるために来た」(マルコ10:45)とも言われました。教会の頭であるキリストが弱い者に仕えられたのですから、その体である教会もまた、弱い者を大切にするのは当然のことです。

 大阪中央教会も同じです。韓国語と日本語。大人と子ども。信仰歴の長い人と初心者。それぞれに配慮しながら、一つの教会を築いていく必要があります。重要なのは、強い教会になることではなく、弱さを受け入れられる教会になることです。最も弱い人を大切にする教会を神様は喜ばれます。

牧会者が祈りと御言葉に専念できる教会になろう

 使徒たちは役割分担をしました。牧会者がすべてを抱え込む教会は健全ではありません。小さな教会では、土曜日の夜遅くまで牧師が週報を印刷し、事務処理をし、日曜日の朝には運転して聖徒たちを迎えに行き、疲れ切ったまま説教台に立つという話もあります。もちろん必要なら牧師も何でもします。しかし、それが常態化し、御言葉の準備が後回しになるなら赤信号です。御言葉が後回しになる教会は、神様を後回してしまう教会になってしまいます。

 また、「献金だけして、あとは牧師が全部やればいい。」という考えも危険です。それは悪魔が望む教会です。食卓の奉仕も、掃除も、受付も、証しも、すべて神様の前では尊い奉仕です。教会の奉仕に優劣はありません。それぞれが役割分担をして、指導者が御言葉に専念できるのなら、その奉仕は神様の栄光につながります。

 ある人は、「私は雑用ばかりで証しする奉仕をさせてもらえない。」と不満を言いました。しかし神様は、どちらの奉仕も同じように尊いものとして用いられます。だからステパノは奉仕者でありながら、「その顔は御使いの顔のようであった。」(使徒6:15)と言われました。神様から与えられた役割に忠実な人には、そのような恵みが与えられるのです。

教会を教会にするのは人ではなく神様である。

 教会には不満もあります。「これが教会なのか」「もっと愛があると思っていた」そう思うこともあるでしょう。しかし、問題があるから教会ではないのではありません。教会が教会である理由は、人間が立派だからではなく、神様が臨在しておられるからです。だから問題を隠す必要もありません。御言葉によって解決すればよいのです。

 イエス様は弟子たちに、「あなたがたは世で苦難があります。しかし勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)と言われました。問題は敗北ではありません。問題を信仰によって乗り越えるたびに、教会はさらに成熟していきます。もし、御言葉で解決せずに、人の知恵で解決しようとするなら、それが敗北になります。

 大阪中央教会にも、経済的な課題、健康の問題、様々な悩みがあります。しかし神様はそれらを通して、私たちをさらに強い教会へと導いてくださいます。問題があるから悪い教会なのではありません。問題を無かったことにしたり、人の力で解決しようとしたする方が悪い教会です。

4。まとめ

 教会に問題があること自体は決して恥ではありません。初代教会も問題を経験しました。しかし、問題を隠さず、御言葉を中心に解決したとき、教会はますます成長しました。

 第一に、弱い人に合わせる教会になりましょう。

 第二に、牧会者が祈りと御言葉に専念できる教会を築きましょう。

 第三に、教会を教会にするのは人ではなく神様であることを覚えましょう。

 神様は問題を祝福へ変えられるお方です。大阪中央教会も、どのような課題の中にあっても御言葉を中心に歩み続けるなら、神様はさらに豊かな実を結ばせてくださいます。問題を恐れるのではなく、神様が成長の機会として用いてくださることを信じましょう。

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