20260729手遅れになる前に(ダニエル5:22-28)📺

20260729水曜礼拝

聖書:ダニエル5:22-28

題目:手遅れになる前に

賛美:301、325

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

「ベルシャザルよ、あなたは彼の子であって、この事をことごとく知っていながら、なお心を低くせず、

かえって天の主にむかって、みずから高ぶり、その宮の器物をあなたの前に持ってこさせ、あなたとあなたの大臣たちと、あなたの妻とそばめたちは、それをもって酒を飲み、そしてあなたは見ることも、聞くことも、物を知ることもできない金、銀、青銅、鉄、木、石の神々をほめたたえたが、あなたの命をその手ににぎり、あなたのすべての道をつかさどられる神をあがめようとはしなかった。

それゆえ、彼の前からこの手が出てきて、この文字が書きしるされたのです。

そのしるされた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、ウパルシン。

その事の解き明かしはこうです、メネは神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせたことをいうのです。

テケルは、あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれたことをいうのです。

ペレスは、あなたの国が分かたれて、メデアとペルシャの人々に与えられることをいうのです」。」

‭‭ダニエル書‬ ‭5‬:‭22‬-‭28‬ 口語訳‬

1。本当に取り返しがつかなくなる原因

 私たちは「知らなかった」という言葉をよく使います。交通違反でも、「標識を見ていませんでした」と言う人がいます。健康診断でも、「病気になるとは思いませんでした」と言う人がいます。しかし、本当に取り返しがつかなくなる原因は、「知らなかったこと」よりも、「知っていたのに行動しなかったこと」です。

 ベルシャザル王はまさにその人物でした。神様は彼に十分な情報を与えておられました。先代のネブカデネザル王が高慢によって裁かれ、悔い改めて回復したことを知っていました。それにもかかわらず、彼は自らを低くしませんでした。

 神様はベルシャザルに十分な時間も、十分な証拠も与えてくださいました。しかし彼は応答せず、「まだ大丈夫」と思い続けました。その結果、気づいた時には、もう手遅れでした。

 神様は今日、私たちにも問いかけておられます。「あなたは知っていながら、どう応答するのか。」

2。本文解説

①背景解説:滅びの原因は外敵ではなく、高慢だった

 ダニエル5章は、バビロン帝国最後の夜を描いています。ネブカデネザル王は高慢のゆえに神の裁きを受け、一時は獣のような生活を送りましたが、最後には神の前にへりくだり、回復されました(ダニエル4章)。しかし、その後の王たちは、その失敗から学びませんでした。

  • 3代目:アメル・マルドゥク(エビル・メロダク)
  • 4代目:ネルガル・シャレゼル
  • 5代目:ラバシ・マルドゥク
  • 6代目:ナボニドス

 ナボニドスは、バビロンの守護神マルドゥクではなく、月の神シンを熱心に礼拝しました。母の影響を受けてのことです。彼はアラビアのタイマに神殿を建て、十年以上そこに滞在したため、政治は息子ベルシャザルに任され、共同統治が行われていました。

 一方その頃、東のエラム地方から興ったペルシャのクロスは勢力を拡大し、メディアを吸収して次々とバビロンの領土を奪っていました。しかしベルシャザルは危機感を持ちませんでした。

 バビロンには巨大な二重の城壁があり、その中をユーフラテス川が流れていたため、「この都は絶対に落ちない」と信じられていました。彼は城壁や軍事力に安心を求めていました。

 しかし、本当の危機は外ではなく内側にありました。神を恐れる心を失っていたのです。そして、その高慢な心は、ついに神を公然と侮辱する行動となって現れます。

②事件当日:神は「知っていたこと」を問題にされた

 ベルシャザルは千人の貴族を集め、妻や側女たちとともに大宴会を開きました。さらに、エルサレム神殿から奪った聖なる器を持ち出し、それで酒を飲みながら偶像を賛美しました。これは単なる宴会ではありません。イスラエルの神を侮辱し、バビロンの神々の勝利を誇示する冒涜でした。

 すると突然、人の手が現れ、壁に文字を書き始めます。誰も読むことも解き明かすこともできませんでした。王は震え上がり、「解き明かした者を第三の支配者にする」と約束します。しかし誰も答えられません。

 そこへ、ベルシャザルの母である王妃が現れ、ダニエルのことを教えます。この頃ダニエルは80歳前後になっていました。ネブカデネザルの時代には国の最高指導者の一人でしたが、その後は政治の第一線から退いていたのでしょう。

 王はダニエルを呼び、「紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけ、この国の第三の支配者にしよう」と約束します。しかしダニエルはその褒美を断ります。神の知恵は、お金や地位で買えるものではないからです。

③裁きの言葉:「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」

 そしてダニエルはベルシャザルにこう語ります。「ベルシャザルよ、あなたは彼の子であって、この事をことごとく知っていながら、なお心を低くせず…」(22節)。ベルシャザルは単にネブカデネザルの歴史を知っていただけではありません。神は高ぶる者を低くされ、へりくだる者を回復されるという神の御業を知っていました。それにもかかわらず、彼は神の前にへりくだりませんでした。神様が問題にされたのは、「知らなかったこと」ではなく、「知っていたのに応答しなかったこと」だったのです。

 そして壁に書かれた文字の意味を説明します。

メネ

 「数えられた。」

 神が王の治世を数え、その終わりを定められた。

テケル

 「量られた。」

 神の秤で量られ、不足していることが明らかになった。

ペレス(ウ・パルシン)

 「分けられる。」

 王国はメディアとペルシャに与えられる。

④イザヤの預言は150年以上前に語られていた

 驚くべきことに、この出来事は約150年前にすでに預言されていました。

「わたしは一つのきびしい幻を示された。 かすめ奪う者はかすめ奪い、 滅ぼす者は滅ぼす。 エラムよ、のぼれ、メデアよ、囲め。 わたしはすべての嘆きをやめさせる。」

‭‭イザヤ書‬ ‭21‬:‭2‬ 口語訳‬

 この預言の通り、エラム地方から興ったクロスと、それに従うメディアがバビロンを攻めました。また次のようにも預言されています。

「彼らは食卓を設け、 じゅうたんを敷いて食い飲みする。 もろもろの君よ、立って、盾に油をぬれ。」

‭‭イザヤ書‬ ‭21‬:‭5‬ 口語訳‬

 まさにベルシャザルが宴会を楽しんでいるその時、外では敵軍が侵攻の準備を進めていました。そして預言は続きます。

「見よ、馬に乗って二列に並んだ者がここに来ます」。 彼は答えて言った、 「倒れた、バビロンは倒れた、 その神々の像はことごとく打ち砕かれて 地に伏した」。」

‭‭イザヤ書‬ ‭21‬:‭9‬ 口語訳‬

 神様にとって歴史は突然ではありません。神様は起こる前から語られ、その御言葉は必ず成就します。

 その夜、ベルシャザルは約束どおりダニエルを第三の支配者に任命しました。しかし、その栄誉は数時間しか続きませんでした。その夜のうちに、ペルシャ軍はユーフラテス川の水位を下げ、水路から城内へ侵入し、ベルシャザルは殺されました。頼りの城壁は何の役にも立ちませんでした。

 バビロンはなぜ滅びたのでしょうか。外敵が強かったからだけではありません。神を恐れる心を失った国は、すでに内側から崩れていたのです。

3。適用

① 「知っているだけ」で終わらせないことが大切

 ベルシャザルは神様について何も知らなかった人ではありませんでした。神が高ぶる者を低くされ、へりくだる者を高くされることを知っていました。それでも応答しませんでした。

 さらに、外にはペルシャ・メディア軍が迫っている状況でありながら、城壁の強さを信じ切って宴会を開いていました。その結果、神様の忍耐が終わり、裁きの時を迎えたのです。

 ベルシャザルには外からの警告がありました。そして私たちにも神様からの警告があります。

 神様は必要なことを、すでに私たちに示してくださっています。聖書があります。礼拝があります。説教があります。信仰の先輩たちの証があります。聖霊は私たちの心に語りかけてくださいます。問題は「神様が語ってくださらないこと」ではなく、「私たちが聞いたことに応答するかどうか」です。

②思い立った今、応答しよう

 イエス様は言われました。

「この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭4‬:‭17‬ 口語訳‬ 

これを聞いて皆さんはどう応答するでしょうか。「まだ大丈夫」「いつか信仰を真剣に持とう」「老後になってから考えよう」と思うでしょうか。それとも今日、神様の前にへりくだるでしょうか。

 神様は今も忍耐して待っておられます。しかし、その忍耐は永遠ではありません。ベルシャザルにも悔い改める機会は何度も与えられていました。それでも彼は応答せず、最後の夜を迎えました。

 聖書は警告しています。

「それについて、こう言われている、 「きょう、み声を聞いたなら、 神にそむいた時のように、 あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」。」

‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭3‬:‭15‬ 口語訳‬

 だからこそ、今日という日に神様の御声に応答することが大切なのです。

③ 「変わらなくても大丈夫」という思い込みは捨てよう

 私たちは、御言葉を聞いても、「今すぐ変わる必要はない」「まだ大丈夫」と思ってしまうことがあります。その背景には、「今のままでいたい」という気持ちがあります。人は変化を恐れます。失敗することも、人からどう思われるかも、不安になります。だから、神様が示しておられることが分かっていても、一歩を踏み出せないのです。

 ベルシャザルも同じでした。外にはペルシャ軍が迫り、先代ネブカデネザルの失敗も知っていました。それでも彼は、「まだ大丈夫」と考え、宴会を続けました。またネブカデネザル自身も、神様から警告を受けてから一年間の猶予が与えられましたが、すぐには悔い改めませんでした(ダニエル4:29)。神様は忍耐して待ってくださいます。しかし、その忍耐には終わりがあります。

 私たちも、自分の安心や快適さを守ることを第一にしてはいけません。大切なのは、「今のままで安心か」ではなく、「神様が何を求めておられるか」です。神様は私たち一人ひとりに使命を与え、最善の道へ導いてくださいます。だから私たちは、「まだ大丈夫」ではなく、「主よ、従います」と応答する者になりましょう。本当の安心は従った先にあります。

4。まとめ

 ベルシャザルの問題は、神を知らなかったことではなく、「知っていながら心を低くしなかったこと」でした。

 神様は私たちにも、御言葉、礼拝、説教、証しを通して必要なことを十分に示してくださっています。あとは、その言葉にどう応答するかです。

 この世の財産や地位、名誉は未来を保証できません。しかし、神の前にへりくだる者は決して失望することがありません。

 ベルシャザルのように「知っていながら心を低くしなかった者」となるのではなく、今日、御声を聞いたなら心を低くし、主に立ち返る者となりましょう。手遅れになる前に、今日という日に神様に応答する者となりましょう。

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