20260712主の道を考える(箴言16:9)
20260712敬虔会
聖書:箴言16:9
題目:主の道を考える
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
「人は心に自分の道を考え計る、 しかし、その歩みを導く者は主である。」
箴言 16:9 口語訳
1。なぜ助けてくれないのか?
私たちは毎日、何かを計画して生きています。学生は進学を考え、社会人は仕事の計画を立て、家庭では将来のことを考えます。教会でも伝道計画や行事計画を立てます。「神様がおられるから何も考えなくてもよい」というのは聖書の教えではありません。神様は私たちに知恵を与え、考え、準備し、計画することを求めておられます。
しかし一方で、自分の計画が思い通りにいかないと、「神様はなぜ助けてくださらないのですか」と失望することがあります。今日の箴言16章は、そのような私たちに「計画すること」と「神に委ねること」の正しい関係を教えています。
2。人は考えるが、導くのは主
箴言16章は、ソロモンの箴言の一つで、「人の思い」と「主の主権」が繰り返し対比されています。例えば1節には、「「心にはかることは人に属し、 舌の答は主から出る。」3節には、「「あなたのなすべき事を主にゆだねよ、 そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。」そして9節では、「人は心に自分の道を考え計る、 しかし、その歩みを導く者は主である。」とまとめられています。
「考え計る」とは、計画する、設計する、考えるという意味です。つまり、人間が計画すること自体は間違いではありません。むしろ、神様から与えられた知恵を用いて考えることは、私たちの責任です。
しかし後半では、「歩みを確かなものにするのは主である」とあります。どの道を通るか、どの扉が開くか、どこで立ち止まるか、その最終的な導きを与えるのは神様です。私たちは地図を書くことはできますが、その道を開いてくださるのは主なのです。
3。私たちの気をつけること
私たちは時々、自分で決めた道に神様を合わせようとしてしまいます。「私はこの道に進みたい。」「この仕事が成功してほしい。」「この計画を実現したい。」そして、その計画がうまくいかないと、神様に失望してしまいます。
しかし、もしかすると神様は、その道ではなく、もっと良い道へ導こうとしておられるのかもしれません。私たちが頑張っている場所が、神様の計画の外側であるなら、どれほど努力しても実を結ばず、疲れ果ててしまうことがあります。
その時に必要なのは、「もっと頑張ること」ではなく、「主よ、あなたは私をどこへ導こうとしておられるのですか。」と祈ることです。自分の思いを中心にするのではなく、神様の思いを中心にすることが大切です。
イエス様も、ゲツセマネの園で、「わたしの願いではなく、あなたのみこころがなりますように。」と祈られました。神の御心に従われたからこそ、十字架の苦しみは世界の救いとなりました。私たちも、良い結果を出すには、自分のやり方にこだわるのではなく、神様の導きに従う事が成功の秘訣です。
4。まとめ
箴言16章9節は、計画を捨てなさいとは教えていません。考えなさい。計画しなさい。準備しなさい。しかし、その計画を握りしめるのではなく、主に委ねなさい、と教えています。
私たちが計画し、主が導かれる。この順番を忘れない人生は、たとえ予定どおりに進まなくても、神様の最善の計画の中を歩む人生になります。
今日も自分の計画だけに頼るのではなく、歩みを確かなものにしてくださる主を信頼して歩んでまいりましょう。

