20260216帰る家(ヨハネ14:1-3)

20260216葬儀礼拝

聖書:ヨハネ14:1-3

題目:帰る家

賛美:338、180

説教:高曜翰 牧師

場所:葬儀場

“「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。”

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭14‬:‭1‬-‭3‬ 口語訳‬

説教

愛する家族との別れは、私たちの人生の中で最も悲しい出来事の一つです。

どれほど信仰があっても、涙は止まりません。

しかし聖書は、このような時のために、特別な言葉を私たちに与えています。

主イエスはこう言われました。

「あなたがたは心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。

わたしの父の家には住まいがたくさんある。…

わたしはあなたがたのために場所を備えに行く。

そして備えたなら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」

① 「心を騒がせないがよい」

主は、「泣くな」とは言われませんでした。

「強くなれ」とも言われませんでした。

ただ

「心を騒がせないがよい」

と言われました。

なぜでしょうか。

それは、死が終わりではないことを、主は知っておられるからです。

私たちには見えません。

しかし主には、その先が見えています。

だからこそ、主は静かに

「大丈夫だ」

と言ってくださるのです。

② 「住まいが備えられている」

イエスは「天国がある」と抽象的には言われませんでした。

「あなたのための住まいがある」と言われました。

住まいとは何でしょう。

それは

帰る場所

安らぐ場所

家族が待っている場所

です。

つまり天国は、

よく分からない世界ではなく、

「帰る家」 なのです。

主は、Cさんのために、すでにその場所を準備しておられました。

今日の別れは、

失われたのではなく、

先に帰られた のです。

③ 「迎えに来る主」

ここがこの箇所の一番の希望です。

主は

「道を教える」

とは言われませんでした。

「自分で来なさい」

とも言われませんでした。

「わたしが迎えに来る」

と言われました。

これはなんという慰めでしょうか。

死とは、暗闇の中を一人で歩くことではありません。

主ご自身が手を取ってくださる出来事です。

Cさんも、ひとりで旅立ったのではありません。

復活の主イエスが、

「さあ帰ろう」

と迎えてくださったのです。

だから私たちは、絶望ではなく、希望をもって送り出すことができます。

④ 私たちへの問いかけ

そしてこの御言葉は、今日ここにいる私たち一人一人にも語られています。

人生はいつか必ず終わります。

しかし問題は

「いつ死ぬか」ではなく、

「どこに帰るか」

です。

主は今日も言われます。

「わたしを信じなさい」

この方を信じる者には、

永遠の住まいが備えられています。

死は終点ではなく、帰郷になります。

どうかこの希望を、今日、心に受け取っていただきたいのです。

結び

私たちは今日、涙を流しながらも、希望をもってCさんをお送りします。

なぜなら、

主が住まいを備え、

主が迎えに来られ、

そしてまた再会の日が約束されているからです。

「心を騒がせないがよい」

この主の言葉が、ご家族お一人お一人の上に、深い慰めとなりますように。

お祈りいたします。

主よ、深い悲しみの中にある私たちをあなたの平安で包んでください。

ご家族の歩みを支え、天の希望を心に与えてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です