2026015わたしはよみがえりであり、いのちである(ヨハネ11:25)

20260215前夜式

聖書:ヨハネ11:25

題目:わたしはよみがえりであり、いのちである

賛美:369、305

説教:高曜翰 牧師

場所:葬儀場

“イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。”

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭11‬:‭25‬ 口語訳‬

①

愛する皆さま。

今日、私たちは、あまりにも突然の別れの中に立っています。

朝、いつものように家を出られたCさんが、

このような形で突然、主の御許へ召されることを、

誰ひとり想像することができませんでした。

知らせを受けたとき、私たちは信じることができませんでした。

言葉を失い、ただ立ち尽くすしかありませんでした。

どうしてこのようなことが起きたのか。

なぜこんなに早く別れなければならないのか。

その問いに、私たちは答えを持っていません。

ただ、深い悲しみがあり、涙があり、寂しさがあります。

②

しかし聖書は、そのような私たちの現実から目をそらしません。

イエス様もまた、愛する者の死を前にして涙を流されました。

神は、遠くから眺めておられるお方ではなく、

私たちと共に悲しみ、共に涙を流してくださるお方です。

その主が、今日、私たちに語っておられます。

「わたしはよみがえりであり、いのちである。」

イエス様は

「復活を与える」とは言われませんでした。

「わたしが復活そのものである」と言われました。

主イエスご自身の中に、死に打ち勝ついのちがあるのです。

私たちにとって死は終わりに見えます。

すべてが失われたように感じます。

しかし主は言われます。

「死は終わりではない。」

「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」

これがキリストの約束です。

③

Cさんは、40年間、大阪中央教会に仕えてこられました。

同時通訳をはじめ、会計の働きなど、

さまざまな奉仕を担いながら、

いつも静かに、誠実に教会を支えてくださいました。

目立つことを求めず、

祈り、

人を思いやり、

神様を第一にして歩まれた方でした。

その一つ一つの歩みを、神様はすべてご存じです。

また、ご主人が天に召された後も、

母として二人の息子さんを大切に育て、

強く、忍耐強く、家庭を守り続けられました。

その姿は、私たちにとって大きな尊敬と感謝のしるしです。

そして今、主イエスはその両手をもって、

勧士をしっかりと抱きしめ、

永遠のいのちの中へ迎えておられます。

そこには、もう痛みもありません。

苦しみもありません。

涙もありません。

ただ主の平安があります。

④

今日の別れは本当に悲しいものです。

しかし聖書は言います。

これは永遠の別れではない、と。

主にあって、再び会う日が来る。

それが私たちの希望です。

だから私たちは、絶望の中に置き去りにされているのではありません。

涙を流しながらも、なお希望を持って歩むことができます。

主イエスが

「わたしはいのちである」

と言われたからです。

Cさんは今、先に天に召されたご主人とともに、

主の御手の中で安らいでおられることを信じます。

私たちもまた、Cさんのように主に信頼し、

希望をもって歩んでまいりましょう。

お祈りいたします。

⑤

主よ、深い悲しみの中にある私たちをあなたの平安で包んでください。

ご家族の歩みを支え、天の希望を心に与えてください。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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